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佐々木誠監督(鹿児島城西)の経歴や出身高校と家族は?指導方法や現役時代のタイトルも!

こんにちは、シュウです。

甲子園の交流戦が始まり、選手たちは生き生きとしたプレーを見せてくれいつも以上に感動を与えてくれていますね(*´ω`*)

また、選手たちだけでなく監督にも注目が集まります。

すでに試合が終了した、明徳義塾の馬渕監督や大阪桐蔭の西谷監督などなど、甲子園常連校には、名物監督が多くその発言などはとても興味深いコメントが多いですね。

そんななか、元プロ野球選手の監督も出場します。

鹿児島城西高校の佐々木誠監督。昭和の時代にプロ野球を見ていた人なら誰でも知っていますね。

そんな大物が高校野球の監督になっているなんて・・・

それでは、佐々木誠監督(鹿児島城西)の

  • 経歴や出身高校と家族は?
  • 指導方法や現役時代のタイトル

を中心に調査していきたいと思います。

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佐々木誠監督(鹿児島城西)の経歴

 

まずは、佐々木監督の簡単なプロフィールを見ていきましょう!

  • 出身地:岡山県倉敷市
  • 生年月日 1965年10月3日
  • 年齢:54歳(2020/8/11現在)
  • 身長:181 cm
  • 体重 :85 kg
  • 投打:左・左
  • ポジション:外野手
  • 1983年:ドラフト6位

【選手歴】

  • 南海ホークス
  • 福岡ダイエーホークス (1984 – 1993)
  • 西武ライオンズ (1994 – 1998)
  • 阪神タイガース (1999 – 2000)
  • ソノマカウンティ・クラッシャーズ (2001)

 

【監督・コーチ歴】

  • 福岡ダイエーホークス (2003)
  • オリックス・ブルーウェーブ
    オリックス・バファローズ (2004 – 2005)
  • セガサミー
  • NTT西日本
  • 福岡ソフトバンクホークス (2015 – 2017)
  • 鹿児島城西高等学校 (2018 – )

 

プロ野球を引退後は、メジャーのスプリングキャンプに参加しましたが、残念ながら契約は見送られてしまうことに。

すでに年齢が35歳だったことが最大のネックに。

それでもアメリカ独立リーグでプレーすることになり、1年プレーしおた後に引退し、解説者に。

その後は、プロ野球や社会人野球の指導者になり、2018年からは、「鹿児島城西高校」の監督に就任します。

 

今でこそ、プロ野球の選手寿命はかなり伸びていますが、かつては30歳を超えてくるとそろそろ引退??なんて感じでしたね。

なので、30代なかばで引退した佐々木監督は、今でこそそんな若さで引退?なんて感じるかもしれませんが、当時だったら妥当な引退年齢だったように思います。

 

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佐々木誠監督(鹿児島城西)の出身高校

 

佐々木監督の出身高校は、

「県立・水島工業高等学校(岡山県)」

です。

高校時代は、投手として活躍しますが、ドラフトでは、打撃センスを見込まれ、外野手として南海からドラフト6位で指名を受けます。

さすがに、ドラフト6位だったので4年くらいプレーして通用しなかったら辞める覚悟で入団しています。

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佐々木誠監督(鹿児島城西)の家族や妻と子供は?

 

また、佐々木監督の奥さんやこともなどの家族についても気になりますね!

ただ、佐々木監督の家族情報をネットで探しましたが、見つかりませんでした。

年齢的には、結婚して、お子さんもすでに社会人になっているかもしれませんね。

また、情報がわかりましたら追記していきますね。

 

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佐々木誠監督(鹿児島城西)の指導方法

 

プロ野球や社会人野球で指導してきた佐々木監督が、高校生たちにどのような指導方法をしているのかも調べてみました。

プロ野球のトップレベルで活躍した選手が、体も心もまだ未熟な高校生たちを指導するのは、かなり難しいのでは??と個人的には思いました。

ですが、佐々木監督は高校生たちと同じ目線を意識しています。

今の時代は、昔と違って気合や根性ではダメですよね。

さらに、佐々木監督は、かつての高校野球で負の部分

  • 行き過ぎた勝利至上主義
  • 監督や先輩の言うことが唯一絶対で、厳しいだけの上下関係
  • お気に入りの選手が重宝される派閥争い  などなど

といった頃が好きではないようです。

このあたりは、アメリカで実際にプレーをしたことがある佐々木監督だから説得力がありますね。

なので、「楽しい野球」「野球を好きになる」といったことを重視しています。

具体的な指導方法としては、

  • 坂道を使った走り込み
  • 考える野球
  • 体幹を鍛える
  • 気持ちを入れてシートノック

などを中心に練習に取り組んでいます。

その御蔭で、選手たちからは、「野球が楽しくなった!」「早くグランドにいきたい!」といったケガ続出しているようです。

考える野球

「指示待ち族になるな。自分で考えて野球をしなさい」

就任して部員たちへの第一声は「考える野球」をすることだった。無死一塁でエンドラン、一死三塁でスクイズのサインが出る。ただ機械的に、言われたサインを忠実に実行するのではなく「この状況ではどんなサインが出るか」を常に考え準備をして自分なりの引き出しを持っておき「やっぱりそうきたか!」と喜び勇んでやれるような技術、お互いの信頼関係が築けるような野球をやりたいという。

毎日の練習のメニューは「同じ練習をダラダラと長くやっても意味がない。ある程度エッセンスを凝縮して、チーム練習をこなしたら後は自主練習に任せる」のが基本的なスタイルだ。

その日、どんな練習をするかは佐々木監督が決めてボードに張り出す。レギュラー、ベンチ入りメンバーを中心にしたAグループ、それ以外のB、Cといくつかのグループに分けて様々な練習をローテーションでこなす。例えばAグループが実戦を想定した守備の連係プレーをやっている間、Bグループは後述するサーキットスイングの練習、Cグループは坂道の走り込みをしている。一定時間やり込んだらメニューを交代する。取材に訪れたのは夏の大会の開幕(7月7日)を目前に控えた6月28日で「大会に向けた調整期間」(佐々木監督)だったが、ベンチ入りメンバーのAクラスだけが野球の練習をするのではなく、基本的にやるメニューは1年生から3年生まで48人全員が同じことを満遍なくこなせるようにしている。

練習中はスピーカーで音楽を流す。プロのキャンプなどでお馴染みの光景だが、やり方を形だけ真似ているのではない。「打撃にしても、走塁にしても、大事なのはリズム感」を養うためだ。

全体練習が午後6、7時で終わり、あとは自主練習。試合で送りバントを失敗した、エラーをした、スタミナが切れた…試合や練習で見つけた自分の課題に向き合い、どうやって克服するかを考えながら取り組む大切な時間である。

髪型を強制していないのも「自主性」や「自分で考える」ことの表れである。校則に則って見苦しくないものであればとやかく言うことはない。「5厘だけはやめてくれと言ってます。ブレザーの制服姿でその頭だと犯罪者みたいに見えるから」と笑う。

プロ時代の実績や肩書も関係なく、選手たちとは「同じ目線で、フレンドリーに接したい」という。「野球が面白くない」という部員がいたら親身になってまずは話を聞く。理由が「試合に出られないから」だといえば、「なぜ試合に出られないか分かるか?」と問う。試合に出るために必要なプロセスの大事さを語り、やる気を引き出す指導を心掛けている。

体幹を鍛える

野球指導で大事にしているのは「体幹を鍛える」こと。数多くの練習をこなしてうまくなるためには「芯の強さ」が必要になってくる。プロに行く選手は、身長の小さな選手でも「体幹の強さとバランスの良さ」を例外なく兼ね備えているという。

今は体幹に特化したトレーニング方法などもあるが、佐々木監督が取り入れているのは「野球に必要な体幹を野球のトレーニングで鍛える」方法だ。象徴的な練習法が「サーキットスイング」である。

30秒間バットを振り続ける。15秒休んで、巻き上げ、アームカール、拳立てなどを30秒間やり続け15秒休む。この1分30秒間のセットメニューをひたすら繰り返す。使うバットは通常のバットだけでなく、長い、短い、重い、いろんな種類がある。夏に向けての調整期間は10分程度の繰り返しだが、通常だと30分ぐらいはこの練習を繰り返すという。 グラウンドの横にある坂道を走り込むのも大事な体幹トレーニングだ。器具を使ったウエートトレーニングなどもあるがそれ以上に大事にしているのは「昔ながらのやり方で、野人的、野性的なものを身に着けること」だと言う。

思い返せば自身が小中高校生だった頃は「ひたすらバットを振って、遠投をやっていた」。学校の短い休み時間でもバットを振ったり、友人とキャッチボールをするのが何より楽しかった。「野球が日常生活に染みついていた」時代だった。時代が変わり、子供たちの野球やスポーツ、生活をめぐる環境は大きく変化したが、野球の持っている「野人的、野性的」なものの楽しさを伝えたいと考えている。

グラウンドに出るのが楽しい!

「授業が終わるのが待ち遠しい。グラウンドに出るのが楽しくなりました」

4番を打つ宮脇廉(3年)は言う。思い切りバットを振ることを「フルスイング」を越えてチームでは「満振り」という。佐々木監督から「ホームランか、三振かといスイングでいい」と背中を押された。あれこれ迷わず、打席で満振りを心掛けたらホームランの本数も増えた。「自分で自分をうまくしろ」という監督の言葉に奮起し、今日はどんなうまくなるための練習をするのかを楽しみに思えるようになった。

「監督のおかげで野球が好きになったのはみんな同じだと思います」と山口主将。野球について知れば知るほど面白さが増える。実戦形式の打撃練習。一死一塁、走者を三塁、またはホームに返すには長打しかないと思っていたが、足の速い走者ならセーフティーバントでも三塁、場合によっては相手のミスで得点になるケースも十分考えられる。チームメートの力を理解し、自分にできることが増えてくれば、それだけやれることも増えて、可能性が広がる。そんなところに「考える野球」の楽しさを感じている。

引用元:高校野球ドットコム

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佐々木誠監督(鹿児島城西)の現役時代のタイトルも!

 

現役時代に佐々木監督が獲得したタイトルも紹介しますね。

  • 首位打者:1回 (1992年)
  • 盗塁王:2回 (1992年、1994年)
  • ベストナイン:6回 (1991年 – 1995年、1997年)
  • ゴールデングラブ賞:4回 (1991年 – 1994年)
  • 月間MVP:1回 (1991年4月)
  • オールスターゲーム出場:6回 (1988年、1991年 – 1995年)

走攻守に関してすべてトップレベルの中距離打者でした。

本塁打は、20本前後でしたがツーベースが非常に多い打者。

全盛期には、「メジャーに最も近い男」とまで言われるほどの選手。

高校時代に投手だったこともあり肩も強く、足も早いので守備範囲もすごく広かったですね。

 

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佐々木誠監督(鹿児島城西)の経歴や出身高校と家族は?指導方法や現役時代のタイトルも!のまとめ

今回は、佐々木誠監督(鹿児島城西)の経歴や出身高校と家族は?指導方法や現役時代のタイトルも!について書いてきました。

佐々木監督の出身高校は、「岡山県立・水島高校」で、甲子園の経験はありませんでした。

高校時代は投手として活躍しましましたが、ドラフトでは外野手として指名されています。