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矢幡真也監督(誉)の経歴や出身高校と家族は?名前が変わった理由も!

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こんにちは、シュウです。

いよいよ夏の甲子園が開幕しますね。今年は、どんなドラマが生まれるか楽しみです。

 

そして、筆者が出場校の中で注目したのが「誉(ほまれ)高校」です。激戦区の愛知県大会でノーシードながら愛工大名電や中京大中京などの強豪校を倒し甲子園に初出場。

誉高校がどんな高校か気になりますね。その誉高校の野球部を指導するのが「矢幡真也監督」です。

 

そして、テレビやネットなどで話題になってますが矢幡監督は監督と電器屋さんの二刀流。さらに矢幡監督は甲子園に出場してるんですが、その時と名前が違うんです!気になりますね(笑)

 

それでは、矢幡真也監督(誉)の

  • 経歴や出身高校と家族
  • 名前が変わった理由

を中心に調査してみたいと思います。

矢幡真也監督(誉)の経歴や出身高校と家族は?

それでは、矢幡真也監督のプロフィールを簡単に見ていきましょう!

  • 読み方:やわた しんや
  • 生年月日:1972年
  • 年齢:46歳(8/1現在)
  • 出身地:愛知県犬山市
  • 出身高校:美濃加茂高校(岐阜)
  • 出身大学:朝日大学
  • 家族:奥さん 詳細不明

 

矢幡監督は、美濃加茂高校時代にエースとして甲子園に出場。大学卒業後に社会人野球で3年間プレーし、引退後は工場勤務。その後は家電製品販売店をついでいます。

そして、電器屋さんをやりながら犬山南高校(愛知)の外部コーチを努めていました。

 

その後、取引先だった誉高校にエアコンや蛍光灯などを配達してるうちに当時の事務局長と仲良くなり、2007年に誉高校の監督をやってほしいと頼まれることに。

 

当時、矢幡監督は「勝負にこだわらずに楽しく野球をやる」という方針だったので自分が監督になるのは不安だったようです。

そして、そのときの誉高校の野球部員は「7人」でした。そしてなんとか9人集めて大会に出たものの、試合の途中のケガで試合を辞退することもありました。

 

そんなチームがわずか10年位で激戦区の愛知県から甲子園に出場するなんてほんとに「ジャイキリ誉」というながふさわしいですね。

この夏の甲子園では、ジャイキリ誉の名が全国に響き渡るのではないかと個人的には予感してます。

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矢幡真也監督(誉)の名前が変わった理由も!

 

矢幡監督は、結婚を期に名字が変わってたんです!奥さんの実家が電気販売店なので継ぐために婿養子になったようですね。

 

現在でも野球部の練習の合間に、エアコンや冷蔵庫を配達しておりお客さんから故障の連絡を受けるとすぐに対応に向かい、臨時でレンタルの製品も届けると行った地元の電気屋さんならではのサービスもしています。

そんな素晴らしい電気屋さんなんですが、夏はエアコンなどで超繁忙期。

 

「従業員は4人なので甲子園に出場する間は、店を開けることになり従業員の負担が増えることが心配」

と、矢幡監督はコメントしてます。ほんと嬉しい悲鳴ですね!

 

★★「矢幡監督のインタビュー」はコチラ 

まとめ

今回は、矢幡真也監督(誉)の経歴や出身高校と家族は?名前が変わった理由も!について書いてきました。

矢幡監督は、美濃加茂高校時代にエースとして甲子園に出場しており、社会人野球を3年やったあとに妻の実家の電気販売店を継いでいます。

妻との結婚の時に名前が変わったようですね。

甲子園でも愛知県大会で見せたジャイキリを期待したいです!